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淸州の歷史

歴史と由來

千年の長い歴史が息づいている都市
現存する世界最古の金属活字本「直指」が印刷された文化のメッカ

直指心體要節あるいは直指

清州は世界最古の金属活字本「直指心体要節あるいは、直指清州は、世界最古の金属活字本「直指心体要節」を印刷した、美しい教育文化の都市である。

韓国の地方自治の嚆矢であると言える「西原郷約」を制定した所で、昔から美しい山水とともに燦爛たる文化の花を咲かせて来た清風明月の土地で、学問と礼を重んずる忠・孝・礼の地である。 清州市の由来

清州市的由來

馬韓(娘子谷),百済(上党県),統一新羅(西原京/757年), 高麗(清州牧/940年), 朝鮮(清州郡/1895年),大韓民国(清州市/1949年)

清州は、三韓時代の馬韓地域で強盛していた、百済の上党県に属した軍事的要衝地で、新羅が三国を統一した後は地理的な重要性により、5小京中の一つである西原京を設置し、地方行政の中心地となった。

高麗太祖23年(940年)に、地名が清州と改称され、現在までその地名で呼ばれており、朝鮮時代に入って水運の発達した忠州が、交通の要地として浮上し、清州は相対的に発展が遅れたが、1905年京釜線鉄道の開通とともに、発展の転機を迎え、1908年には観察府が忠州から清州に移された。1926年忠北線の開通が、地域発展のきっかけとなり、1946年に清州と清原郡が分離され、1949年には清州市に昇格した。。

その後行政洞の分洞、清原郡編入などを経て、1989年7月に2つの出張所(東部・西部)が設置され、1995年1月に出張所が区(上党区,興徳区)に昇格し、現在に至っている。

淸州の歴史
時 代 名 称
百 済 上党県(娘臂城または娘子谷)
新 羅 西原京(757年)
高 麗 清州牧(983年)
日本植民地時代 清州邑(1931年)
大韓民国 C清州市(1949年)