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史蹟

興徳寺址

興徳寺址

現存する世界最古の金属活字本である『直指心体要節』を印刷した興徳寺址に古印刷博物館を建てた。

上党山城

上党山城

清州市上党区山城洞に位置する長さ4.2km、内部面積約22万坪の 大規模な包谷式の石築山城で、史蹟第212号に指定された。

宿泊案内

清州市内の観光ホテルや、明岩遊水地の明岩パークホテル(043-257-7451)を 利用

郷土食堂

古風な雰囲気の韓国伝統家屋の食堂街で、民俗料理や地元の名酒、なつめ酒が楽しめる。

特産物

清州特産なつめ酒

交通情報

  • バス : ソウル→清州 5·10分ごとに出発(高速バス
    清州→上党山城 1時間おき 1日10回(07:07-22:03)
  • 車 :中部高速道路西清州I.C →清州 → 国道36号線 →牛岩山循環道路

竜頭寺址鉄幢竿

竜頭寺址鉄幢竿

幢竿は寺の前に立てて、仏陀の威信と功徳を現し、正義具現を目的とする「幢」という旗をたてるためのものである。

二つの花崗巌の支柱と、20個の鉄桶から成る、高さ13.1mの龍頭寺址鉄幢竿は、3番目の鉄桶に製作年度(高麗光宗13年·962年)と高麗独自の年号の「濬豊」の文字が浮き彫りされている貴重な遺物だ。

しかし、この幢竿が所在していた龍頭寺の規模などは分かっていない。

伝説によれば、まるで船が水面に浮かんでいるように見え、「舟成」とも呼ばれていた清州が、「大雨で流されないよう、帆柱を立てよ」という仏陀の顕示を受け、惠圓というお坊さんが、弟子のキムイェジョンに、龍頭寺境内に鉄幢竿を立てるよう命じて造られたという。

高麗光宗13年(962年)に建てられた鉄幢竿(国宝第41号)で、高さ13.1m、 鉄筒20個で造成されている。

東莱府使宋象賢忠烈祠

東莱府使宋象賢忠烈祠

壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時に殉じた東莱府使宋象賢の位牌をまつる祠堂で、記念物第16号に指定されており、光海君2年(1610)に東莱からここへ墓を移し、祠堂を創建した。

薪田洞古家

薪田洞古家

有形文化財145号のこの家は、1926年に建てられた。
建物が建てられた年代はそれほど古くないが、母屋·舍廊(サランチェ)·門屋(ヘンランチェ)が揃っている伝統的な住宅建築の姿をよく示している。

文義文化財団地

文義文化財団地

文義文化財団地,
過去と未来、そして現在が共存する清原郡郷土文化遺跡文義文化財団地

文義文化財団地は清州から大清ダムの方向に、地方道32番線に沿って行き、文義を過ぎてもう少し行くと、広く凉しげな大清湖が見える。文義文化財団地は大清湖が眺められる美しくて明快な所に位置しており、家族単位の観光客がたくさん訪れる。

設立趣旨

文義文化財団地は1980年の大清ダム建設がきっかけとなり、1992年から基本計画を樹立し、約 4万坪余りの大地に文化財団地を造成することになった。
ここは清原郡内の有形・無形文化財などを収集、展示することで、人類文明の発達と急速な産業化によって消えている私たち固有の伝統文化を再現して先祖の生き方と精神を甦らして学ぶための歴史の教育場所である。
団地内には文義アドゥギ支石墓、米院寿山里支石墓、内秀鶴坪里支石墓が移転されていて文義県の官庁客舎建物である地方有形文化財第49号の文山館が移転復元され、琅城面官井里と文義面蘆顯里、芙蓉面芙江里から民家が移転され、ソギルドク孝子閣、金善復忠臣閣及び文義地域にあった昔の碑石も移転されている。
先祖の生活風習を知るために両班家屋、酒幕家、トダム家、デジャンガン、城郭などが考証を経て建立され、遺物展示館には琅城面武城里にある英祖大王胎室造成を記録した地方有形文化財第70号である英祖大王胎室加封儀軌を含め郡内で収集した遺物を展示した遺物館と百済から近代までの瓦を時代別で分類した瓦展示館がある。
この他にも10分以内の距離に清州市民たちがたくさん訪れる養性山の登山路、 小さい龍窟、噴水台、快適なドライブコースである靑南台道路、青少年たちの体力鍛練場である青少年修練館と忠北地域の作家たちで構成された芸術人村が造成されていて『文義に来れば文化が見える』と言う言葉が実感できる地域である。

主要配置図

Layout of the Site

1. 養性門 2. ミンファジョン 3. 文化遺物展示館 4. 芙蓉芙江里民家、 文山館 5. 文山館  6. 両班家 7. 金善復忠臣閣 8. 広場 9. 文義盧峴里民家 10. 琅城官井里民家

団地紹介

文義民家、琅城民家、酒幕家、遊び庭が入り混じって集まっていて、祖先が暮らしていた村の形態を見せてくれるだけでなく、雑に編まれた網み戸と乏しい土煉瓦の草家三間土壁の家が庶民たちの生活ぶりをそのまま見せてくれる。
両班家屋の中には観覧客がただ通り過ぎないように、衣食住を中心に民俗芸術と日常に使った道具などを主題別に細かく分類して写真とともにその使いみちと意味などを明かし、理解しやすいようにした。両班家裏手には孝行文化の象徴であるシモ(侍墓)をするためのヨマク(慮幕)を仮墓とともに造成した。
新世代の人たちに敬老孝親思想を教えるために建立されたヨマク(廬幕)の中には伝統常礼及び祭礼手順案内文と関連写真、祭祀膳、葬祭模型などを展示した。

青い芝生が広がっている広場は今までの行事を行った場所である。春には大清湖国際環境美術祭、秋には清原文化祭を通じて国民を一つにする共感の場となり、週末には伝統婚礼を通じて私たちの文化を伝える役目をした。
また、来年公開されるウォンニムヘンチャが期待される。

団地の上に上がってみると中部地方では珍しいドルノワ家(芙蓉民家)がある。石を平く瓦のように作って屋根に載せた異色的な形態の屋根である。
地方有形文化財第49号の文山館には殿牌を安置して一日と十五日に君王がいる宮殿に向かって敬礼する意識を挙行しただけでなく、中央から下った使臣の宿として使用した重要な建物である。

文化財団地の自慢といえば、遺物展示館である。瓦をテーマで推進して現在は新羅、 百済の瓦當など時代別、種類別に200点余りが展示され、民俗資料 90点、書籍類150点、その他の遺物 60点が展示されている。
展示館前庭には高麗時代に築造されたと推定される文山石橋を復元した。